私の心の思いが神のみこころにかないますように。私自身は、主を喜びましょう。(詩篇104篇34節)

1.ネヘミヤ記8章1節ー12節
2.詩篇37篇1節ー11節
3.詩篇51篇10節ー19節
4.ローマ人への手紙4章19節ー5章11節

私たちの心の思いは、何を求め、何を喜びとしているか、何を愛しているかにということに影響されるのではないでしょうか。キリスト者となったパウロは自分のうちに罪があること、悪が宿っているという原理を見出し「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と心の葛藤を語るとともにその解決がキリスト・イエスにあること、キリスト・イエスにある神の愛から引き離すことができるものは何もないことを知り、人から悪口を言われようが、迫害に会い、囚われの身となっても人々に主を喜ぶことを勧めたのでした。人は完全でないので、どなたも後悔するようなことばの間違いや行動を自分に失望してしまうようなことを繰り返しながら生きているために過去の失敗に悩まされ落ち込むようなことがありますが、イザヤ書57章15節は「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰られる。『わたしは、高く聖なる所にすみ、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」と語っています。落ち込み自分に失望した時、心の思いが神のみこころにかなうように自分を責めるよりも、聖別された日であることを(ネヘミヤ記8章9節)、「主を喜ぶことはあなたがたの力です。」と勧めているみことばを握り(ネヘミヤ記8章10節)、恵みとまことに満ちておられ、信仰の完成者であるイエス様が罪に定められないようにとりなして祈っていてくださることを感謝し、パウロと同じように主を喜んで生きようではありませんか。