悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする。この二つを、主は忌みきらう。(箴言17章15節)

1.イザヤ書5章20節―25節
2.ルカの福音書23章32節―43節
3.使徒の働き2章22節―41節
4.ヤコブの手紙5章6節

ソロモンは「私は再び、日の下で行われるいっさいのしいたげを見た。見よ、しいたげられている者の涙を、彼らには慰める者がいない。しいたげる者が権力をふるう。しかし、彼らには慰める者がいない。(伝道者の書4章1節)」と、日の下、すなわちこの世を見た時の状態を語っています。確かに、近年、独裁者が支配している国々において、人々は行動のみならず、言論の自由までも奪われ、統制が厳しく、しいたげられていますし、共産主義国やイスラム教国においてはクリスチャンに対する迫害が激しくなっています。今日の聖句が「悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする。」と語っている状態が何度も歴史の中で繰り返されてきたのではないでしょうか。ところで、ダビデは「悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。悪を行う者は断ち切られる。しかし主を待ち望む者、彼らは地を受け継ごう。(詩篇37篇1節及び8節―9節)」と勧めているのは、そのような状態を主は忌み嫌っておられることを知っていたからではないでしょうか。イエス様は正しい方であったのに悪者とともに十字架につけられてしましましたが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなして祈られ、死から救うことのできる父なる神を信頼して善をもって悪に勝利されたのでした。