イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は。決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8章12節)
1.詩篇139篇1節ー12節
2.ヨハネの福音書1章1節ー5節
3. 使徒の働き26章2節ー23節
4.エペソ人への手紙4章26節ー5章17節
律法学者とパリサイ人から姦淫の現場でつかまえられた女性に関して「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」と尋ねられたイエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と答えると、イエス様の光に照らされ、自分にも罪があることを自覚したのでしょう。年長者から始めて、だれも石を投げずにその場から去って行ったのでした。女性は民衆の真ん中に置かれ、自分は石打ちの刑に処せられると恐れの中におられたのではないでしょうか。イエス様は女性に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と仰せられたのは、彼女の心をご存じであったからではないでしょうか。それから、律法学者やパリサイ人に対して「わたしは、世の光です。わたしに従う者は。決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と仰せられたのですが、民衆と共に主のことばを聞いていたにも関わらず、彼らは律法による自分の義に生きていたために「あなたは自分のことを自分で証言しています。だからあなたの証言は真実ではありません。」と、イエス様を非難したのでした(ヨハネの福音書8章1節ー13節)。光がなければ物事をはっきり見ることができません。いのちの光であるイエス様を拒絶した彼らは、真実を、真理を知ることも見ることもできず、罪の自覚さえも起こらなかったのでした。光はすべてのことを明らかにしてくださいますから、時には自分の弱さや惨めさを知らされことがありますが、それは主に立ち返るように導き勝利を与えるためであることを心に据えて、どんな時にも世の光であり、永遠のいのちを与えてくださったイエス様を信頼し、光の中を歩ませていただこうではありませんか。