何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)

1.マタイの福音書6章25節ー34節
2.テサロニケへの手紙第一5章16節ー18節
3.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
4. ペテロの手紙第一5章7節ー11節 

イエス様は、弟子たちにエルサレムで苦しめられ殺されけれども三日目に復活されることを語ったように、ご自分がやがてどのような目に合うかをご存じだっただけでなく、「父よ。時が来ました。(ヨハネの福音書17章1節)」と、そのことが起こる時をもご存じでしたが、イエス様がたとえ話として、畑が豊作であった金持ちが「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と自分に言い聞かせた瞬間、神から「愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物はいったいだれのものになるのか」と話され、箴言27章1節が「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」と語っているように、人は将来を見据えてさまざまな希望を抱いて計画を立てたり、「あしたにしよう」と、明日が当たり前のように来ると思っていますが、実は今の瞬間を生き、次の瞬間何が起こるのか知らずに生活しているのではないでしょうか。イエス様は、労苦はその日その日に十分あること、私たちが願う前に神は何が必要であるかをご存じなので、心配し過ぎないように、神の国と神の義をまず第一に求めるように話されました(マタイの福音書6章8節及び27節ー34節)。ダビデが「民よ。どんなときにも、主を信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避けどころ。(詩篇62篇8節)」と、パウロが「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安があなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」と勧めているように、主は恵みとまことに満ちておられる方であることを心に据えて、心配事や恐れ、思い煩いなど心のうちをすべて正直に主に申し上げて主に明け渡して、主からの平安をいただこうではありませんか。