弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。(ルカの福音書6章40節)
1.ヨハネの福音書13章1節ー17節
2.エペソ人への手紙4章17節ー32節
3.ピリピ人への手紙2章3節ー16節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
父のみもとに行くべき時が来たのを知られたイエス様は、裏切るユダやイエス様を知らないと三度言うペテロ、イエス様を見捨てて家に帰ってしまう弟子たちであることをご存知でありながらも、奴隷の仕事であったを足を洗うという行為をもって弟子たちに愛を示されてから、「主であり師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです。(ヨハネの福音書13章1節ー17節)」と、「弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」と主と同じように生きるためには訓練が必要であることを語られたのでした。イエス様は人としてこの世におられたとき、御子であられるのにもかかわらず、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされたことをヘブル人への手紙5章7節―9節は語っています。私たちの心が元気を失ったり、疲れ果ててしまわないために、信仰の創始者であり完成者であり、恵みとまことに満ちておられる私たちの師であるイエス様から目を離さないようにヘブル人への手紙12章2節ー3節が勧めているように、イエス様がどのように歩まれたかを、恵みによって救われていることを、神に愛されていることを忘れずに生きようではありませんか。