信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル人への手紙11章1節)
1.コリント人への手紙第二4章15節ー18節
2.エペソ人への手紙1章17節ー19節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
4. ペテロの手紙第一1章18節ー21節
モーセは主から「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。(出エジプト記3章8節)」と、約束の地がどのような地であり、どのような人々が住んでいるかという情報を与えられていたにも関わらず、「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう。」という民の意見に同意したので(申命記1章22節)、主は各部族の族長を遣わすように助言されたのでモーセは族長を遣わしたのですが、その際、その地に住んでいる民や土地、町々について、目で確かめ、証拠としてその地のくだものを持ってくるように告げたのでした。その結果、約束の地について悪く言いふらした者のことばを信じて、あれほどの奇蹟を体験しながらも民は「荒野で死んだほうがましだ」などとつぶやいて、信仰に立てず、主と主の約束を信じたヨシュアとカレブ以外の20歳以上の者たちは、約束の地に入ることができなかったのでした。今日の聖句「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」に生きる秘訣は、ペテロが「私たちの信仰と希望は神にかかっている(ペテロの手紙第一1章21節)」と語っているように、信仰の創始者であり完成者であるイエス様がいかに真実な方であるのかを、神の召によって与えらている望みがどのようなものか、私たちが受け継ぐものがどのように栄光に富んでいるのかを知ることができるように心の目を開いていただき与えられている信仰で生きようではありませんか。