私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。(ヨナ書1章7節)
1.詩篇103篇1節ー14節
2.詩篇66篇16節ー20節
3.ローマ人への手紙7章18節ー8章3節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー4節
ニネベの町に行くように主から言われたにも関わらず、ヨナは主の御顔を避けて船でタルシュシュへのがれようとしたため、主は激しい暴風を起こされたのでした。船が難破しそうになったため、自分のせいであることを悟ったヨナは自分を海に投げ込むように人々に自分を海に投げ込むように指示したのでした。そのような状況の中、主は大きな魚を備えてヨナをのみこませたのでした。今日の聖句「 私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました。」は、魚の腹の中にいたヨナのことばです。神のことばであるみことばよりも自分の思いや考え、感情に支配されるとさまざまな問題を引き起こして後悔し、イエス様を三度知らないと言ったペテロやパウロのように自分のみじめさを思わされて自分に失望し、嘆くようなことがありますが、そのような時、ヘブル人への手紙12章2節ー3節が「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。・・・あなた方は、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それはあなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」と、自分から目を離して、祈りをお聞きくださる恵みとまことに満ちておられ、信仰がなくならないように、罪に定められないようにとりなしておられるイエス様を見上げ、キリスト・イエスにある神の愛からどんな被造物も引き離すことができない、と確信されたパウロのように、ヨナのように主を思い出すようにしようではありませんか。
