神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。(詩篇62篇11節ー12節)
1.ヨハネの福音書1章14節ー18節
2.使徒の働き1章3節ー8節
3.コリント人への手紙第一1章18節ー25節
4.エペソ人への手紙1章3節ー21節
忠実なしもべとしてサウルに仕えダビデに非があったのではないにもかかわらず、サウルにねたまれて命を狙われたために(サムエル記第一18章7節ー9節)逃亡生活を余儀なくされたダビデは「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る(詩篇62篇1節)」「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。」と、二度語るとともに黙想する中で「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされない。(2節)」「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。(6節)」と、二度神がどのような方であるのかを告白してから「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」と、この世に目を留めないように勧めてから(9節ー10節)、「神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。」と神からの語りかけを聞いて「主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。」と告白したのでした。イエス様はニコデモに二度「まことに、まことに、あなたに告げます。(ヨハネの福音書3章3節及び5節)」と語っているように、しばしば同じことばが二度繰り返されますが、同じことばが二度繰り返して使われる場合、それは満ちている状態を表します。ですから「シャローム、シャローム」を日本語は「全き平安」と、英語は「perfect peace(完全な平安)」と訳しています。恵みによって救われていることを、キリスト者には神の力が与えられていること感謝するとともに、神は必ず報いてくださる方であることを信じて神が喜ばれるように生きようではありませんか(ヘブル人への手紙11章6節)。
