私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。(詩篇62篇1節及び5節)
1.イザヤ書30章15節
2.哀歌3章25節ー29節
3.エペソ人への手紙4章17節ー24節
4.ヘブル人への手紙4章10節ー11節
創世記1章において神が天地万物を創造されたことが語られてから、創世記2章1節ー2節は「こうして天と地とその全ての万象が完成された。神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」と、安息日は神ご自身が始められたことであることから、私たちも神の安息に入るように力を努すようにヘブル人への手紙4章10節ー11節は勧めていますが、今日の聖句「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。」は、そのことを実践するための秘訣を語っているのではないでしょうか。試みに会うと、私たちのたましいは騒ぎ出し、平安を失い、あわてて自分でなんとか解決しようとしますが、どんな状況においても自分の考えや思いを鎮める、すなわち単に黙るのではなく、主がどのような方であるこかを心を鎮めて熟考するなら、主への信頼が生まれ、希望の光が差し込んでくるのではないでしょうか。日曜日だけでなく、日々、主の前に鎮まる時を持つようにしようではありませんか。
