私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.コリント人への手紙第二13章2節ー6節
2.ガラテヤ人への手紙6章3節ー4節
3. エペソ人への手紙2章1節ー9節
4.ペテロの手紙第一4章12節ー15節

パウロは「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と語っていますが、その根拠を彼の「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての聖徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。(コリント人への手紙第一15章9節ー10節)」ということばに見ることができるのではないでしょうか。世の人々は信仰は自分にかかっていると考えがちであるために、自分を基準にして他者の信仰を非難するようなことをしたり、信仰はキリストによって与えられているにも関わらず、信仰生活が長くなると、気がつかないうちに思い上がっていつの間にが主の代理人のように、みだりに他者に干渉してしまうようなことがあるのではないでしょうか(ペテロの手紙第一4章15節)。今日の聖句「神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて」を心に据えて、パウロのように恵みを無駄にしないように、ヘブル人への手紙12章2節が勧めているように信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないようにしようではありませんか。