神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ人への手紙8章31節)
1.民数記13章25節ー14章9節
2.サムエル記第一17章20節ー50節
3.イザヤ書40章27節ー31節
4.ヨハネの福音書第一4章4節ー6節
イスラエルの民は紅海での奇蹟を体験した後「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私たちの救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。・・・主よ。神々のうち、だれがあなたのような方があるでしょうか。だれがあなたのように、聖であって力強く、たたえられつつ恐れられ、奇しいわざを行うことができましょうか。(出エジプト記15章1節ー2節及び11節)」とモーセとともに神をほめたたえたにも関わらず、約束の地を探ってきた者のうち神と神の偉大さを忘れアナク人と自分たちを比較して「私たちは自分たちがいなごのように見えた。」と、言った者たちのことばを信じ、「主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と警告したカレブとヨシュアを打ち殺そうとしたのでした。サウルは勇気のある者や、力のある者を見つけるとその者たちを召しかかえたのですが、ゴリアテに対してだれも戦おうとしなかったのでしたが、ダビデはゴリアテを倒しましたが、その秘訣は主を見ていたからではないでしょうか。パウロはキリスト者のためには「神がすべてのことを働かせて益としてくださるこを、私たちは知っています。」と告白してから「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」と尋ねるとともに、迫害に会うことや苦悩することが臨んでも、キリスト・イエスにある神の愛からキリスト者を引き離すことができないこと、それゆえキリスト者は主のゆえに圧倒的な勝利者であること語っています。どんなときにも神の子とされていること、神に愛されていることを忘れないようにしようではありませんか。
