割礼を受けているかどうかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。どうかこの基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。(ガラテヤ人への手紙6章15節ー16節)
1.ヨハネの福音書3章1節ー16節
2.コリント人への手紙第二5章15節ー21節
3.ガラテヤ人への手紙3章1節ー14節
4.エペソ人への手紙2章1節ー10節
イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。(ヨハネの福音書3章5節ー7節)」と仰せられましたが、御霊はイエス様を信じることによって与えられるためにパウロは「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです(エペソ人への手紙2章10節)。」と語るとともに「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古ものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです(コリント人への手紙第二5章17節ー18節)」とイエス様との関係が不可欠であること、それゆえ「割礼を受けているかどうかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。どうかこの基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。」と語っています。ところで、興味深いことに彼は「神のイスラエル」と語っています。パウロもヨハネも血筋によるのでもなくイエス様を信じた者が神の子とされる特権が与えられていることを語っていることから(ヨハネの福音書1章11節ー13節、 ローマ人への手紙9章6節ー8節)、神のイスラエルはユダヤ人であろうと異邦人であろうとキリスト者を意味するのではないでしょうか。パウロがキリスト者のために「平安とあわれみがありますように」と祈っておられるように私たちも祈ろうではありませんか。
