ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。(詩篇139篇4節)
1.サムエル記第一 16章6節ー7節
2.ダニエル書4章4節ー33節
3.ルカの福音書22章31節ー34節
4.ヨハネの福音書2章23節ー25節
パリサイ人たちはイエス様をことばのわなにかけようかと相談し、ヘロデ党の者たちといっしょに弟子たちをイエス様のもとに遣わし「先生。私たちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方だと存じています。あなたは、人の顔色を見られないからです。それで、どう思われるのか言ってください。税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことなのでしょうか。」と尋ねさせましたが、イエス様は彼らの悪意を知っておられ「偽善者たち。なぜ、わたしをためすのか。納め金にするお金をわたしに見せなさい。」と仰せられてから、デナリにある肖像はだれで、だれの銘かを彼らに質問されると彼らが「カイザルのです。」と答えたので、「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と答えられたので、その答えに彼らは驚嘆して立ち去ったのでした(マタイの福音書22章15節ー22節)。不思議なことに人はことばを発する前に、まず、想像力を働かせて頭の中でああでもないこうでもない、と思案してから出した結論が頭から思いへと移行してから、その思いを口にしますが、ダビデが「彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう(詩篇62篇 4節)」と語っているように、罪や肉の思い、怒りに支配さると心にある事とは裏腹なことを言う弱さを人は抱えているのではないでしょうか。今日の聖句「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」を心に据えて、肉の思いや怒りに支配され、後悔するようなことを口にして惨めな思いに悩まされたり、神に対して不信な思いが襲ってきた時、全てをご存知な主に心のうちを全て正直に申し上げるととも、罪に定められないように主がとりなしていてくださることを、主に愛されていることを感謝しようではありませんか。