わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

1.詩篇100篇1節ー3節
2. エレミヤ書18章1節ー6節
3.コリント人への手紙第一6章12節ー20節
4.コリント人への手紙第二3章17節ー18節

イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。(ヨハネの福音書3章5節ー7節)」と仰せられましたが、御霊はイエス様を信じることによって与えられるため(ヨハネの福音書7章39節)、新しく生まれ変わるためにはイエスとの関係不可欠であることがわかります。ですからパウロは「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペソ人への手紙2章10節)」と、また「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられ、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」と、モーセは主の後ろ姿を見たことによって彼の顔は神の栄光を反映しましたが消え去るものでしたが、キリスト者に与えられた主の栄光は輝きをますものであることを(コリント人への手紙第二3章7節及び18節)、ペテロは永遠の栄光であることを(ペテロの手紙第一5章10節)語っています。主の栄光が輝き出るために信仰が試されることがありますが、全てのキリスト者に与えらた主の栄光は努力によるものではなく恵みによって与えられていることを、今日の聖句「 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」を心に据えて、いのちのみことばをしっかり握って世の光として生き(ピリピ人への手紙2章16節)、主に栄光を帰すように心がけようではありませんか。