もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなた方の信仰は空しく、あなたがたは、今もなお自分の罪の中にいます。(コリント人への手紙第一15章16節ー17節)

1.ローマ人への手紙3章19節ー30節
2.ローマ人への手紙6章17節ー23節
3.エペソ人への手紙2章1節ー10節
4.ペテロの手紙第一1章3節ー9節

パウロは「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と、死は罪の結果であることを語っています。罪を犯したことのない人はひとりもいないので、すべての人に死が臨むのですが、聖書は肉体の死だけでなく、「霊的な死」「永遠の死」と三つの死を語っています。パウロは霊的な死について、エペソの生きている聖徒たちにキリストを信じる前は生きていても「あなたがたは背きと罪の中に死んでいた者」と、いつも善をしたいのにそれができない自分に悩まれたように、罪や欲に支配されている状態を語っています(ローマ人への手紙 7章18節ー24節 エペソ人への手紙2章1節ー3節)。永遠の死は、罪や咎から十字架の死をもって贖ってくださるイエス様を信じていないなら、死後、この世で行った罪(行為だけでなく言葉においても)や咎がすべて明らかにされ神の裁きのもと有罪判決が下され、永遠に昼も夜もサタンとも呼ばれる悪魔や悪霊、偽預言者たちと地獄で昼も夜も苦しみ続けることを意味しています(黙示録20章10節ー14節)。そのような状態から人類を救うために神は御子イエス様をお遣わしになり、イエス様は父から与えられた使命、すなわち十字架において私たちが受けるべき神からの怒りや罰を受けてくださり罪の代償を払ってくださり、肉体以外の霊的な死、神のさばきや永遠の死からの救いを完成されたのでした。ですからパウロは「もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなた方の信仰は空しく、あなたがたは、今もなお自分の罪の中にいます。」と語っているように、イエス様が死からよみがえらたことによって全生涯の罪から解放され、やがて永遠に天国で生きることができる希望が与えられていることを、空しい信仰ではないことを、すべての人にキリストが必要であることを心に据えて人々がイエス様を信じて生きるように祈ろうではありませんか。定年のため栃木県での働きを終えられたクルベリー宣教師は「私が嫌いない人も、私に失礼なことをした人も、みんな救われて欲しいです。なぜなら、地獄がどのようなところであるのかを知っているからです。」と言ってスウェーデンに帰国されました。