あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。(ローマ人への手紙12章14節)

1.マタイの福音書5章43節―48節
2.マタイの福音書7章1節―2節
3.マタイの福音書10章11節―13節
4.ペテロの手紙第一3章8節―18節

イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われているのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章43節―44節)」と仰せられたように主は十字架に架けられながらも「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」ととりなして祈られたように、ステパノも殉教の死を遂げる時彼に石を投げつけている人々のために「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」ととりなして祈られたのですが、そこにはステパノを殺すことに賛成していたやがて使徒とされるサウロとも呼ばれていたパウロもとりなしされた人のひとりでした(使徒の働き7章37節―8章1節)。肉の思いにかられると、人を赦せないような思いに支配されてしまいますが、そのような時、イエス様が弟子たちに宿泊させていただく家に入るときには、「平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返ってきます。(マタイの福音書10章11節―13節)」と仰せられたことを思い起こし、パウロが「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」と、ペテロも「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐためにめされたのですから(ペテロの手紙第一3章9節)」と勧めているように、パウロのように人々の心の目が開かれ、罪の赦しと死の解決与えてくださる主の恵みと祝福を受けることができるように祈ろうではありませんか。