さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。(マタイの福音書7章1節―2節)

1.マタイの福音書5章38節―48節
2.マタイの福音書10章11節―13節
3.ローマ人への手紙12章9節―21節
4.ペテロの手紙第一3章8節―18節

人はとかくやられたら、やり返したい思いに駆られる一方で、親切にしていただくと、自分も他の人に親切にしたい願いが起こされるように、経験がものをいうような生き方をしてしまいがちになりますが、イエス様は「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」と人間関係を築くにあたって、留意すべき点を教えてくださいました。キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知らずに、律法による自分の義に生きていたパウロは自分の考えでナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきと考えてキリスト者を迫害していたのですが、神の恵みと愛を知ったパウロは自分で自分をさばくことさえもしないことを語ってから、「私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき神から称賛が届くのです。(コリント人への手紙第一4章3節―5節)」と語っただけでなく「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。・・だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。・・悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ人への手紙12章14節、17節、21節)」と勧める人になりました。罪人を救うために御子をお遣わしになった神の愛と恵みとまことを実現するためにご自身をささげられたイエスさまのことを思ってパウロが勧めているようにお互いのために、人々のために祝福を祈ろうではありませんか。