互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主に似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(コロサイ人への手紙3章9節―10節)

1.ローマ人への手紙13章11節―14節
2.コリント人への手紙第二3章9節―18節
3.コリント人への手紙第二4章11節―16節
4.エペソ人への手紙4章16節―25節

イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と仰せられてから「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」と新しく生まれる働きは御霊によるものであることを話されましたが(ヨハネの福音書3章3節及び5節―6節)、御霊はイエス様を信じる者に与えられますから(ヨハネの福音書7章39節)、イエス様を信じているキリスト者はすでに新しく生まれたことになります。ところで、今日の聖句は「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主に似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」と新しく生まれた者であるキリスト者は、古い人の上に新しい人を重ね着するのではなく、人を欺く情欲によって滅び行く古い人から解放され、新しい人、すなわちキリストを着ている者であり(エペソ人への手紙4章22節―23節)、御霊なる主のお働きによって日々新しくされ、真の知識に至る、すなわち十字架によって明らかにされた神の愛と恵みの深さを知る者とされていることを語っているのではないでしょうか(エペソ人への手紙3章16節ー19節)。キリストを着ているはずなのに、肉の思いに悩んだパウロのように心の葛藤を覚えることがありますが、自己嫌悪に陥るよりも恵みの座に出て「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」とパウロが語っているように、十字架の恵みに生き、キリスト・イエスにある神の愛からどんなものをもってしても引き離されることは決してないという確信を持って生きるようにしようではありませんか(ローマ人への手紙8章38節)。