主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。(ペテロの手紙一2章4節―5節)
1.詩篇50篇23節
2.イザヤ書43章1節―7節
3.テサロニケへの手紙第一5章15節―18節
4.ヘブル人への手紙13章14節―17節
今日の聖句は「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」と、人の評価と神の評価の違いを語るとともに、すでにイザヤ書43章4節が、主によって贖われた者は主の目には、高価で尊い、とあるように、キリスト者はイエス様と同じように尊いだけでなく、神に選ばれた存在であり、祭司職が与えられているのでいけえをささげる立場にあることと、神がよろこばれるいけにえはイエス様がご自身をささげられたので、罪のためのささげものでも(ヘブル人への手紙10章14節―18節)、動物でもなく、霊のいけにえを、しかもそのいけにはイエス・きりすとを通してささげられるべきであることを語っています。イエス様は弟子たちに「あなたがの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」と仰せられてから過越の食事中、イエス様はパンを祝福してから裂いて「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」と、杯を取って感謝をささげてから「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」と仰せられ、食後讃美の歌を歌ってからオリーブ山のゲッセマネの園に弟子たちと行かれたのでした。イエス様が殺されることをご存知でありながら感謝と賛美をささげられましたが、それこそ神の喜ばれる霊のいけにえではないでしょうか。ですから、ペテロはイエス・キリストを通して神に喜ばれる霊のいけにえをささげるように勧めているのではないでしょうか。感情や気分がどうであろうとゲッセマネの園で十字架にかけられないように願いながらも、人類が救われるためにもだえ苦しみながらもご自身をささげられたイエス様のことを思い起こすとともに、「私の目には高価で尊い」と言ってくださる主をほめたたえ、感謝(詩篇50篇23節)賛美のいけにえ(ヘブル人への手紙13章15節)をささげるように努めようではありませんか。