民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。(詩篇62篇8節)

1.サムエル記第一1章15節―18節
2.マタイの福音書11章28節―30節
3.エペソ人への手紙6章18節―20節
4.ピリピ人への手紙4章6節―7節

ダビデはイスラエルの地にあってサウル王からいのちをねらわれましたが、神は常にダビデを守られたにも関わらず、サウルの手から逃れるために祭司アヒメレクを騙してゴリヤテの剣をいただいてゴリヤテの出身地ガテに逃げ込んだのですが、すぐにダビデであることがわかってしまい、アキシ王の前で気が違ったようにふるまって逃れましたが、「私は、いつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」と、神がどのような方であるのかを忘れ、アキシ王からイスラエルとの戦いに一緒に行くように言われても祈る事をもしませんでしたが、ペリシテ人の首長たちが反対したので、ダビデや部下たちは住んでいたツイケラグに帰って見ると、略奪隊によって町は焼かれ、すべてのものが奪われていたので、民がダビデを石で打ち殺そうと言いだしたので、ダビデは非常に悩み、やっと神である主に「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」と尋ねると、主は「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」と約束してくださったように、病気になったために置き去りにされたアマレク人の奴隷に会い、彼の案内によってすべてを取り返しただけでなくアマレク人が他の地で略奪したものも得たのでした(サムエル記第一21章及び27章1節、29章4節、30章1節―20節)。私たちもダビデのように神である主の存在を考慮しないで苦悩するようなことがありますが、ダビデが勧めているように、心を注ぎ出して祈られたハンナのように(サムエル記第一1章15節)、心のうちにある苦悩や願いを恵みとまことに満ちておられる主の前に注ぎ出し、主が最善をしてくださることを感謝して、主に期待して祈ろうではありませんか。