何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6節―7節)

1.イザヤ書55章6節―12節
2.ヨハネの福音書2章23節―25節
3.テモテへの手紙第一2章1節―6節
4.ペテロの手紙第一5章7節―11節

イエス様が「その方(助け主である御霊)は来ると罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。(ヨハネの福音書16章8節―9節)」と仰せられたので、ヨハネは「神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。私たちは神からの者であり、世全体は悪い者の支配下にあることを知っています。(ヨハネの手紙第一5章18節―19節)」と、キリスト者は罪を犯さない、と語ってから、この世を支配している悪い者、すなわちサタンはキリスト者に触れることができないことを語っていますが、パウロは「信仰の大楯を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。(エペソ人への手紙6章16節)」と、キリスト者はサタンに攻撃されることを語っています。サタンは、恐れをもたらしたり、思い煩うように仕向けたり、神のことばよりもエバを誘惑したように欲や肉の思いに生きるように誘惑します。そのようなサタンの攻撃に勝利するために信仰の大楯をとるように勧めています。イエス様によって与えられている信仰に生きるために、心と思いが恐れや思い煩い、肉の思いに悩まされないように、今日の聖句「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」をしっかり握って、どんなときにも十字架の恵みを、主がどのような方であるかを忘れずに「主よ。あなたはどんなことも益としてくださることを、必要なものであればお与えくださることを感謝します。」と祈ろうではありませんか。