義を知る者、心にわたしの教えを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。しみが彼らを衣のように食い尽くし、虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。しかし、わたしの義はとこしえに続き、わたしの救いは代々にわたるからだ。(イザヤ書51章7節―8節)
1.ローマ人への手紙3章23節―30節
2.コリント人への手紙第一3章18節―4章5節
3.コリント人への手紙第二6章1節―10節
4.ピリピ人への手紙3章2節―9節
今日の聖句は「義を知る者、心にわたしの教えを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。」と、まず、「義を知る者」「心にわたしの教えを持つ民」と呼びかけてから、「わたし聞け」と、「人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。」と仰せられてから、その理由として「しみが彼らを衣のように食い尽くし、虫が彼らを羊毛のように食い尽くす。しかし、わたしの義はとこしえに続き、わたしの救いは代々にわたるからだ。」と語っています。箴言14章15節は「わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、利口な者は自分の歩みをわきまえる。」と、ソロモンは「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。あなた自身も他人を何度ものろったことを知っているからだ。(伝道者の書7章21節―22節)」と助言しています。パウロは律法による自分の義に生きていたときにはキリストを信じることによって神から与えられる神の義を知らずに自分の考えでキリスト者に御名をけがすようなことば言わせようと強いたり、ステパノが殺される時には賛成の票を投じてキリスト者を迫害していたのですが、ダマスコへの途上イエス様から声をかけられ、キリスト者となったパウロは神の義であるキリストご自身を知る者となり、人のことばや評価を気にして一喜一憂するような生き方ではなく(コリント人への手紙第一4章3節―5節 コリント人への手紙第二6章1節―10節)、義を知る者、すなわち十字架にかけられた神の義であるキリストをいつも思い、キリストに聞き(エペソ人への手紙4章2節)、キリストに生きる者となられたのでした。神の義であるイエス様を知っているだけでなく神の義が与えられていることを感謝し、人のことばを恐れたり、心がくじけたりしないようにみことばを心にたくわえ、人からあざけられても、ののしられても、そのことに反応せずに与えられた使命に生きられたイエス様を見上げ、聖霊よって書かれている神のことばであるみことばに聞き、みことばで生きるように心がけようではありませんか。