私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ人への手紙6章4節)

1.ヨハネの福音書1章1節―17節
2.エペソ人への手紙4章17節―24節
3.コリント人への手紙第一6章12節―20節
4.ガラテヤ人への手紙5章16節―24節

ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と、同章8節が「舌を制御することは、だれにもできません。」と語っているように、人はだれでも後悔するような間違いをし、自分に失望するようなことを経験しながら、同じ間違いをしないようにしようとしても人は同じ間違いを何度もしてしまうことを聖書は語るとともに、今日の聖句は「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」と、そのような状態から解放される道を示していますが、そこに使われている「いのち」はギリシャ語の「ゾーエ」で、新しい歩みをする秘訣は死に勝利したいのち、すなわちイエス様によって与えられているいのち(ゾーエ)に生きることであり(ヨハネの福音書10章10節)、そのためには生まれながらの自分はすでに葬られていることを思い起こし、ヘブル人への手紙16節が「おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」と勧めているように、信仰がなくならないように、罪に定められないようにとりなしていてくださり恵みとまことを実現してくださったエス様がいつも背負っていてくださることを忘れないようにし(イザヤ書463節―4節)、恵みの上にさらに恵みを受け続けて生きようではありませんか(ヨハネの福音書1章16節)。