[神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。(テモテへの手紙第二1章7節)
1.ヨハネの福音書14章16節ー27節
2.使徒の働き1章3節―8節
3.ローマ人への手紙8章10節―15節
4.コリント人への手紙第一2章1節―12節
パウロは、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」と、世の人々と同じようにキリストにではなく、私、すなわち肉である自我に生きているコリントの教会(コリント人への手紙第一3章1節ー4 節)を訪れた時のことを「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。」と語るとともに、「さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことばを用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」と語っているのは(コリント人への手紙第一2章1節―4節)、キリストにこそ神の力、神の知恵であり(コリント人への手紙第一1章24節)、弱さのうちにキリストの力がおおうことを(コリント人への手紙第二12章9節)、キリスト者に与えられているのは神を「アバ。父」と呼ぶことができる御霊であり、恐れをもたらすこの世の霊ではないことを知っておられたので、テモテに「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」と聖霊がどのような方であるかを明らかにされ、励ましておられます。恐れや思い煩うようなことが起こったとき、主が与えてくださっている愛と力と慎みの霊である聖霊に満たされるように、この世が与えることのできない平安を、神の力を与えてくださるイエス様を仰ぎ見て生活するようにしようではありませんか。