何よりもまず、互いに愛し合いなさい。愛はすべての罪をおおうからです。(ペテロの手紙第一4章8節)

1.ヨハネの福音書15章9節―17節
2.コリント人への手紙第一13章4節―8節
3.コロサイ人への手紙3章13節―14節
4.ヨハネの手紙第一4章7節―18節

イエス様は弟子たちに「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。(ヨハネの福音書13章34節―35節)」と仰せられました。イエス様はユダが裏切ることをもご存知でしたし、弟子たちから見捨てることもご存じでありながら(ヨハネの福音書16章30節―31節)、弟子たちを最後まで愛し通されましたし(口語訳:ヨハネの福音書13章1節)、十字架にかけられながら「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしていのか自分でわからないのです。(ルカの福音書23章34節)」と神の愛を示されたのでした。ところで、福音書の弟子たちは、だれが一番えらいかなどと議論をしたり、ヤコブとヨハネが「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左に座らせてください。」と主に申し上げているのを聞いたほかの十人の者たちは腹を立てたりして主が願っているような生き方ができませんでしたが、聖霊が下り、聖霊に満たされたペテロは「何よりもまず、互いに愛しあいなさい(アガパオ=神の愛で愛する)。愛(アガペ=神の愛)はすべての罪をおおうからです。」と勧めていますが、それは三度イエス様を否定したペテロに対して、死からよみがえられたイエス様は「わたしが預言した通りだったでしょう。」と責めるようなことは言われず、彼に与えた働きをも取り消すことはなさらなかったのでした。ペテロこそ神の愛がいかなるものであるかを実体験されたのでした。キリスト者には聖霊によって神の愛が注がれていますが(ローマ人への手紙5章5節)、その神の愛に生きるために、主が願われているように生きるために、十字架によって罪が赦されている者同士であること、神の家族とされていること、恵みによって救われていることを忘れずに主が赦してくださったように互いに赦し合って生きるようにしようではありませんか(エペソ人への手紙4章30節―32節)。