私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。(ローマ人への手紙12章3節)

1.コリント人への手紙第一15章3節―11節
2.コリント人への手紙第二12章1節―11
3.エペソ人への手紙2章1節−10節
4.ペテロの手紙第一4章10節―11節

パウロは今日の聖句の前に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か。すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」と勧めてから、「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と、キリスト者が留意すべき点を語っています。彼はまず、主から与えられた恵みによって語ることを第一にあげてから語っているのは、神に熱心であっても自分の義に生き、イエス様が神であることを認めずキリスト者を迫害していたにもかかわらず、神を、キリストを知る者となったのは神の恵みであることを痛感したからではないでしょうか。パウロは第三の天にまで引き上げられ人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞きましたが、人が過大評価しないようにその体験を14年間も話さなかったのですが、いやしを三度祈っても彼が高ぶらないように彼の願いを聞き入れずに主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と仰せられたのでした。世の人々はまことの神を、主の恵みをご存知ないため、他者と自分を比較して優越感に浸ったり、劣等感に悩まされたりするような生き方をしていますが、恵みによって救われていること、キリスト者の信仰は神によって各自に与えられているものであり、他者と自分を比較して、高ぶったり、劣等感を持ったりする必要がないことを心に据えて、いつも主の主権を認めて生活するように心がけようではありませんか。