悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。(ルカの福音書10章20節)

1.ヨハネの福音書1章9節―13節
2.ローマ人への手紙8章15節―24節
3.ピリピ人への手紙3章17節―21節
4. ペテロの手紙第一1章3節―9節

イエス様は「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。」と仰せられてから「わたしに向かって『主よ。主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私はあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども、わたしから離れて行け。』」と、イエス様はご自分との関係がない限り天の御国に入れないことを話されたのでした(マタイの福音書7章15節―23節)。ですから、主が遣わされた七十人が喜んで帰って来て「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」と申し上げると、イエス様は「悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。」と命じられてから「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」と、本当に喜ぶべきことが何であるかを話されたのでした。ところで、こどもが生まれると戸籍に名前が記されて親子関係が成立します。親子関係は、「縁を切る」と言っても血のつながりが消えるわけではないために、何をもってしても親子関係を消すことはできません。キリスト者は十字架の血によってきよめられ、神の義が与えられ、神の子とされており親子関係が成立していることを、天に名が書き知るされおり、死によって無効になってしまうようなこの世の国籍ではなく、永遠に存続する天の御国の国籍が与えられていることを喜んで生きようではありませんか。