高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。(箴言16章18節)
1.詩篇19篇12節―14節
2.ルカの福音書18章9節―14節
3.コリント人への手紙第一15章3節ー11節
4.ヤコブの手紙4章1節―10節
イザヤ書14章12節が「暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ、どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」と、高ぶりや心の高慢さは、もとは神の創造を喜んで賛美していたにもかかわらず(ヨブ記38章4節―7節)、被造物の立場をわきまえずに、自分を神と同等に置こうとしたことによるものであり、神の働きを邪魔する者となり、サタンとか悪魔と呼ばれる者になってしまったのでした。地に落とされた悪魔は神の警告を直接きいていなかったエバに神が禁じた善悪の知識の木から取って食べても決して死なないどころか、「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたは神のようになり、善悪を知るようなることを神は知っているのです。」と神が禁じた理由は死ぬからではない、と言わんばかりのことを言い、自分と同じ罪を犯させるように仕向けたためにエバもアダムもサタンの策略に陥って善悪の知識の木から取って食べてしまったことによって、死だけでなく、高ぶりや心の高慢さを持つ者となってしまったのでした。高ぶりや高慢さの特徴は神を考慮しないことによるものであり、高ぶりや心の高慢さがもたらす結果を今日の聖句は「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」と語っています。キリスト者の場合は全生涯の罪が赦され永遠のいのちが与えられているので、滅びることも主が支えてくださっているので、まっさかさまに倒されてしまうことはありませんが(詩篇37篇24節)、知らず知らずのうちに態度が横柄になってしまうようなことがあるのではないでしょうか。主の恵みとあわれみによって救われたことを忘れないようにしようではありませんか。