主がわたしたちのために死んでくださったのは、私たちが目覚めていても、眠っていても、主とともに生きるためです。ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。(テサロニケへの手紙第一5章10節-11節)
1.イザヤ書43章1節―13節
2.マタイの福音書28章18節―20節
3.ヨハネの福音書14章16節―17節
4.使徒の働き18章4節―11節
サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせるように仕向けたために、ダビデは軍隊の長ヨアブに「さあ、ダンからべエル・シェバに至るまでのイスラエルを数えなさい。そして、その人数を私に報告して、知らせてほしい。」と告げたので、ヨアブは「主が、御民を今より百倍も増してくださいますように、王様。彼らはみな、わが君のもの、そのしもべではないでしょうか。なぜ、わが君はこんなことを要求なさるのですか。」と申し上げたのですが、ダビデがヨアブを説き伏せたので、ヨアブが数を数えて報告すると、ダビデは良心のとがめを感じて「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。今、あなたのしもべの咎を見のがしてください。私はほんとうに愚かなことをしました。」と、「赦してください」と言う代わりに「見のがしてください。」と申し上げたので、主は「三年間のききんか。三か月間、あなたが仇の前で取り去られ、あなたに敵の剣が追い迫ることか。あるいは三日間、主の剣、疫病がこの地に及び、主の使いがイスラエルの国中を荒らすことか。」と三つの中から一つを選ぶように仰せられたので、ダビデが「主の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。」と申し上げると主はイスラエルに疫病を下されたのでした(歴代誌第一21章1節―14 節、サムエル記第二24章1節―15節、サムエル記の記述は、主が主体になっていますが、ヨブ記1章と2章からサタンがヨブを試みることを主が許されたことを考慮すれば、矛盾していないこと、主が怒られた原因をヨアブの助言を退けたことなどから、ヨブと違ってダビデには高ぶりがあったことをも思わされます)。主は罪を見過ごすことも見逃すこともできませんが、今日の聖句が「主がわたしたちのために死んでくださったのは、私たちが目覚めていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」と語っているように、御子イエス様をお遣わしになり、私たちが受けるべき罰を十字架の死をもって支払ってくださっただけでなく、イエス様を信じる者には罪の赦しだけでなく、いつまでもともにいてくださる御霊をお与え下さったのでした(ヨハネの福音書14章16節)。どんなときにも主がともにおられることを忘れずに互いに励まし合って生きようではありませんか。