私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上がりますように。(詩篇141篇2節)

1.アモス書5章21節―24節
2.哀歌3章22節―41節
3.ヤコブの手紙4章1節―4節
4.黙示録5章2節―8節

出エジプト記30章において主は香をたくために壇を作るように言われ、アロンはその上で香り高い香を朝ごとに、夕暮れにも主の前の常供の香のささげ物をするようにモーセに仰せられたのですが、香は聖徒たちの祈りであり(黙示録5章8節)、朝ごとに夕暮れには二度といういう意味ではなく「常供の香」と、すなわち常に祈ることを意味しています。イエス様はいつでも祈るべきであり、失望してはならないことを、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官のたとえをもって話されてから、自分を義人だと自任して、他の人々を見下げている者たちに対して、たとえ話しとしてパリサイ人と取税人の祈りを話され、他者と比較して主の前に誇るような祈りをしたパリサイ人ではなく「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と祈られた取税人を神は義と認められることを話されました(ルカの福音書18章1節―14節)。アモス書3章21節は「わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは、かぎたくない。(アモス書3章21節)」と、主がよろこばれない祈りがあることを語っています。今日の聖句は「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕べのささげ物として立ち上がりますように。」と願っています。主のみこころをご存じなのは御霊ですから、パウロが「御霊によって祈りなさい。」と勧めているように御前に香り良き薫香として主の御前に届く祈りは、御霊によって祈ることですが、聖書は神の霊感によるものですから、みことばの約束を握って祈ることであり、詩篇134篇2節が「聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ。」と語っているように、夕方、すなわち1日の終わりに手を上げて祈るだけでなく、主を誉めたたえるようにしようではありませんか。