私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。(詩篇62篇1節)

1.ヨシュア記6章2節―20節
2.詩篇46篇1節―10節
3.イザヤ書40章27節―31節
4. 哀歌3章22節―26節

昨日はトンガで海底火山が噴火したことによってさまざまな国や地域に津波警報が出されましたが、「どうなっているか見に行かないでください。」と何度も繰り返し海の方に行かないように強調されていましたが、台風にしてもしかりで、警告が出されていても海や川や畑などを見に行って波や増水した川に飲み込まれて亡くなられた方がおられたことが何度も繰り返しあったからではないでしょうか。そのような状態が起きるのは、警報が出されても、自分の考えで行動をしてしまうことによるもので、聞いていても、どのように聞いているのかが問われて来ます。予定外や予想外のことが起こると、主の前に静まるよりも、心が騒いで、祈ってはいても信仰をともなう祈りでないと、祈ったあとも不安が消えないようなことがあるのではないでしょうか。ヨシュアは主からエリコを攻略する戦術を授かりましたが、民に「私がときの声を上げよと言って、あなたがたに叫ばせる日まで、あなたがたは叫んではならない。あなたがたの声を聞かせてはいけない。また口からことばを出してはいめない。」と、七日目までは黙って町のまわりを回るように命じたのは、民が不信仰なことばを語らないようにするための配慮であったのでしょう。詩篇46篇10節は、「やめよ(口語訳:静まれ。新共同訳:力を捨てよ)。わたしこそ神であることを知れ。」と勧めているように、今日の聖句が「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」と語っているように、自分の考えや思いを静めて、神がどのような方であるかを、救いは神から来ることを思い起こして自語を慎み、主からの平安をいただいて生活しようではありませんか。