私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙第二2章7節)

1.イザヤ書8章22節ー9章7節
2.マタイの福音書11章28節ー30節
3.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
4.ペテロの手紙第二1章1節ー4節

神田沙也加さんの突然の死とともに生き生きとはなやかに演じていた姿が報道されました。そこには生き生きと将来に向かって生きようとされているお姿がありましたが、将来に対する恐れを抱えておられたようです。訃報とともに相談窓口の電話番号が紹介されていましたが、人は一時的な慰めを与えることができても、恐れの背後には霊の働きがあるために(ローマ人への手紙8章15節)、恐れは繰り返しやってくるのではないでしょうか。ところで、コリント人への手紙第一2章11節が「いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。」と、箴言14章13節が「笑うときにも心は痛み、終わりには喜びが悲しみとなる。」と語っているように、実は、俳優や女優でなくても人は人前では見せることのない二面性を持ちながら、人生を演じて生きている部分があるのではないでしょうか。パウロは「もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私はそれ以上です。」と彼の生い立ちや行動について誇ることができることを語ってから、イエス様しか与えることのできない希望と祝福について語りました(ピリピ人への手紙3章2節―16節)。パウロは肉に属している人々がいるコリントの教会に行ったときには弱さを覚え恐れおののいていても宣教されましたが、その秘訣を「あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」ということばに見ることができるのではないでしょうか。ヨハネの手紙第一4章18節は「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」と恐れを締め出すことができるのは全き愛である神の愛であり、神の愛は十字架で示されました。ですから、パウロは「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」と勧めているのではないでしょうか。このクリスマスの時期、彼女に福音が伝わっていたら、と非常に残念に思うとともに、これから各教会でもたれるイブ礼拝が祝されて、ひとりでも多くの方に福音が届くように、孤独や悩みの中におられる方々、沙也加さんのご両親はじめ、大阪の火事で愛する方々を失われたご遺族の救いのために、人々が神の愛を知ることができますように祈ろうではありませんか。