私たちが神の子と呼ばれるためにー事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは御父を知らないからです。(ヨハネの手紙第一3章1節)
1.ヨハネの福音書1章1節ー13節
2.ヨハネの福音書15章16節ー21節
3.ローマ人への手紙5章6節ー11節
4.エペソ人への手紙2章1節ー9節
今日の聖句は「私たちが神の子と呼ばれるためにー事実、いま私たちは神の子どもです。―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。」と、私たちが神の子と呼ばれるために神の愛がどんなにすばらしいものであるかを考えるように勧めています。パウロは「私はキリキヤのタルソの生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのものとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にも至らせたのです。」と、キリスト者になる前も神に対して熱心でしたが、神の愛を知らずにキリスト者を迫害していたことを告白したのでした(使徒の働き22章3節ー4節)。キリスト者となったパウロは自分の内に罪(口語訳:罪の力)があることに気付き苦悩しましたが「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と、解決がキリストにあることを告白するとともに「私たちは御霊によって『アバ、父』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」と語るとともに、「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使も、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」と、神の愛を深く知る者となり、彼の生き方は全く変わったのでした(ローマ人への手紙7章20節ー8章1節、15節-16節、38節ー39節)。十字架で示された永遠の神の愛を(エレミヤ署31章3節)、神の子という特権が与えられていることを心に据えて、人を創造された神と神の愛を知らない世と調子を合わせるような生き方ではなく、神が喜ばれるような生き方をしようではありませんか。