主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。(詩篇138篇8節)
1.エレミヤ書18章1節ー6節
2.哀歌3章19節ー26節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
4.ペテロの手紙第一5 章7節ー10節
主はダビデに世継ぎの子を約束するとともに「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼は罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の杖をもって彼を懲らしめる。しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。(サムエル記第二7章14節―15節)」と約束されまたのでした。ところで、ヨハネの福音書1章1節はイエス様のことを「ことば」と表現してから、同章12節、14節及び16節―17節は「この方(イエス様)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神のこどもとされる特権をお与えになった。ことばは人となって、私たちの間に住われた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵の上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」と、ダビデに与えられた約束は、ユダヤ人だけでなく、キリスト者にも適用できるものであることがわかります。ヘブル人への手紙12章2節―11節は「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」と勧めてから、キリスト者が平安な義の実を結ぶように、霊の父は訓練されることを語っています。今日の聖句「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。」を心に据えて、自分に生きていると、主の訓練も恵みであることを受け入れがたく思われますが、苦しみにも勝る平安な義の実を結ぶためになされる主の働きであることを受け入れられるように、罪人(私)を永遠の死から救うために、神の栄光を現すために十字架にかけられた神の御子イエス様がどのように生きられたかを思い起こそうではありませんか。
