あの方は酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。(雅歌2章4節)
1.出エジプト記17章8節―16節 (アドナイ・ニシ「主はわが旗』)
2.詩篇20篇1節―5節
3.イザヤ書11章1節―10節
4.イザヤ書62章6節―12節
金メダルを得た人の国旗が高く掲げられるのを見ながら、キリスト者にも旗が与えられていることを思い起こしました。メダルを得るためには努力をしますが、努力を重ねたからと言ってメダルを獲得できる保証はありませんが、ヨハネの手紙第一5章5節に「世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」と語っているようにすべてのキリスト者は勝利者であり、パウロが「私たちの国籍は天にあります。」と語っているように、キリスト者の国籍は、死によって効力を失ってしまうような国籍ではなく永遠のものであり、国旗は国を表すものですが、御国をあらわす旗じるしは、今日の聖句が「私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。」と、私たちの上には、あの方、すなわちイエス様によって十字架によって示された神の愛を示す旗、死に勝利した旗が翻っているのです。しかも、それは努力や行いによるのではなく、恵みによってすべてのキリスト者に与えられているもので、パウロがキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すものはない、と確信しているように私たちの過失によって返還しなくてはならないようなものではなく、それは、ダビデの子孫が罪を犯した時には人の杖、人のむちをもって懲らしめるけれども、恵み(英語訳:愛)を決して取り去ることはない、とダビデに約束された主の契約に基づいたものであり、その契約をイエス様が成就してくださったことにあります(サムエル記第二7章14節―15節)。今日の聖句に「あの方は酒宴の席に伴われました。」ともあります。黙示録19章9節に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ。」とあります。キリスト者は天における酒宴にあずかるのです。イエス様はニコデモに「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」と仰せられたように、主は死からよみがえられ最も高い第三の天に引き上げられたのでした。これ以上輝かしい栄光はないのではないでしょうか。私たちの旗じるしである「神の愛」を示された恵みとまことに満ちているイエス様を高く掲げようではありませんか。