しかし、主よ。私はあなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。」私の時は、御手の中にあります。(詩篇31篇13節―15節)
1.サムエル記第二16章5節―12節
2.箴言3章3節―7節
3.伝道者の書3章1節―11節
4.ローマ人への手紙8章18節―28節
ダビデは、隣人や親友から非難されたり、いのちを狙われたり、自らが犯した咎に苦悩し、非常に悲惨な状態を告白してから、「しかし、主よ。私はあなたに信頼しています。私は告白します。『あなたこそ私の神です。』私の時は、御手の中にあります。」と語っています。ダビデはサウルから愛されていましたが、ゴリアテに勝利して帰還した時、女性たちが笑いながら「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。」とくり返して歌ったためにサウルからいのちを狙われるような状態に陥りましたが(サムエル記第一18章6 節―11節)、主は常にダビデを守られたのですが、「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。」と考えて、イスラエルの敵であるペリシテ人の地に逃れ偽りをもってガテの王アキシ王の信頼を得てアキシ王の護衛に任命され、イスラエルとの戦いに同行するように言われることになりましたが、ペリシテ人の首長たちの反対にあってアキシ王から当時住んでいたツイケラグに帰るように言われイスラエルと戦う必要がなくなりましたが、ツイケラグに帰還すると、町は火で焼かれ、略奪隊によって彼らの妻も子どもたちも連れ去られていたので、ダビデもダビデといっしょにいた者も声を上げて泣いたあげくの果てにダビデを石で撃ち殺そうといいだしたためにダビデも非常に悩んだのですが、ダビデは彼の神、主によって奮い立ち、略奪隊を追うべきかどうかを主に伺うと、主は彼に「追え。必ず追いつくことができる。必ず救いだすことができる。」と約束されたように、全てを取り戻すことができたのでした(サムエル記第一27章1節―28章2節、29章1節−30章19節)。イザヤ書63章9節に「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いてこられた。」と語っています。苦悩するような時も、主の御手の中にあることを心に据え、ダビデのように、私たちの間違いさえも益に変えてくださる恵みとまことに満ちておられる主を信頼するとともに、主は私の神です、と告白して主からの平安や力をいただこうではありませんか。