われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。(詩篇147篇5節)

1.イザヤ書4516節―25
2.ローマ人への手紙1125節―36
3.コリント人への手紙第一118節―25

ヨハネの福音書1章18節が「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と、語っているように神を見る、神を知ることはキリストを見ることであり、キリストを知ることによるのですが、それを神はどのように実現されたかというと、御使いが「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリザベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう6ヶ月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」と、告げられたように、御子イエス様を人としてお遣わしになるために、処女マリヤを用いられたのでした。御使いがマリヤに「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を生みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」と、告げられるとマリヤが「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りません。」と言ったように、人の知恵では理解し難いことを神はなされたのでした。残念ながら、イエス様が処女から生まれたことを信じないキリスト者がおられるようです。今日の聖句が「われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。」と語っているように、私たちの主は、人や自分の考えでは理解できないほどの英知と力を兼ね備えておられる偉大な神であることを認めるとともに、そのような偉大な神がいつもともにおられることを感謝するとともに、神の英知であるみことばをすなおに受け入れてみことばに生きることができるように神の力である御霊の力で満たしていただこうではありませんか。