なぜ、国々は言うのか。「彼らの神はいったいどこにいるのか」と。私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。(詩篇115篇2節―3節)

1.イザヤ書558−11
2.ローマ人への手紙828節―34
3.エペソ人への手紙11節―6
4.テモテへの手紙第一2章4節―6節

パウロはアテネが偶像で満ちているのに憤りを覚えてユダヤ人や神を敬う人たち、エピクロス派とストア派の哲学者と論じたことによってアレオパゴスの議会で弁明する機会が与えられたので、彼は「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心のあつい方々だと見ております。私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何か不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物をお与えになった方だからです。」と神に関する真理を語ってから、復活について語ると、信仰に入った人もいましたが、あざ笑う者や「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言って信じない人もおられたのでした(使徒の働き17章16節―31節)。ギリシャ人は知恵を追求していても、神がどこにおられるのかを、まことの神を、知ることができないことは不思議です。。今日の聖句が「私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。」と語っているように、私たちの神は良い神であり、神はすべての人が救われるだけでなく真理を知ることを願い、そのために御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり神がどのような方であるかをはっきりと示されたのでした。知識人であっても伝統の名のもとに偶像崇拝をしておられることは不思議です。人々の心の目が開かれますように祈りましょう。