苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。(詩篇50篇15節)
1.列王記第二18章17節―19章37節
2.詩篇37篇39節―40節
3.詩篇86篇6節―8節
4.詩篇107篇1節―22節
イスラエルの民が、主と主のことばに従っている時には戦いに勝利し、主からの祝福を受けていたのですが、神と神の約束のことばを信じないでつぶやいたり、偶像崇拝をして主の目の前に悪を行って主を怒らせるようなことをしたために、主は敵の圧政に苦しむような状態になることを許されましたが、民が主を捨てても、主は恵み深くあわれみ富んだ神であるために、ご自分の民をお捨てになることはせず、民が苦難の中で主に助けを求めると主は敵の手から必ず救われ回復を、繁栄を与えられたのでした。先日、第二次世界戦争下、イタリヤ人や若いユダヤ人の医師団が「K症候群」と名付けた感染症をでっち上げて、ローマを占領したナチスの手からユダヤ人居住区に生活していたユダヤ人を救う働きをしていたというドキュメント番組の最後に、「ユダヤ人たちができたのは神に祈ることであった。」ということばが流れました。ローマ軍によって占領されて国を失ったユダヤ人は世界中に離散していたのですが、驚くべきことに、第二次世界大戦後1948年5月14日にイスラエル国として建国されたことによって、ユダヤ民族は2000年ぶりに独立を取り戻し、主はアブラハムへの約束を成就されたのでした。東日本や熱海で起きたような自然災害によってもたらされる苦難の日がある一方、ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人はからだ全体も立派に制御できる完全な人です。」と語っているように、いくら気をつけていても人は完全でないので、間違いを犯して苦難の日を招いてしまうようなことがありますが、そのような時、主のことばである今日の聖句「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」を信じて、どんなことでもおできになる主を呼び求めるとともに、イスラエル建国に現されたように、苦難の日の祈りを主はお聞きになり、栄光を現されることを心に据えて、主をほめたたえる賛美のいけにえを(ヘブル人への手紙13章15節)ささげようではありませんか。