私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕のささげ物として立ち上りますように(詩篇141篇2節)
1.詩篇42篇6節―8節
2.詩篇63篇1節―8節
3.詩篇134篇1節ー3節
4.黙示録5章1節―8節
イエス様は二人三人心を合わせて祈ることを奨励された一方で(マタイの福音書18章18節―20節)、「あなたは祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに何が必要なものを知っておられるからです。(マタイの福音書6章6節―8節)」と個人で祈る時の留意点を話されました。ところで、今日の聖句「私の祈りが、御前への香として、私が手を上げることが、夕のささげ物として立ち上りますように。」は、まさしく一日が終わりをとげようとする夕方にささげられる個人の祈りについて、しかもその祈りが香となって主の御前に届くことを願っていますが、キリスト者の祈りは香となって金の鉢に入っていることを黙示録5章8節は語っています。夕方になると一日を振り返っていろいろ考えながら、後悔するようなことに心を痛めて祈るようなことがありますが、そのような時、後悔して自分に失望するよりも詩篇42篇8節が「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。」と勧めているように、恵みによって一日が生かされていたことを思い起こし、手を上げる、すなわち自分にギブアップして、後悔するような過ちさえも主の御手にゆだねるなら、すべてを働かせて益としてくださり(ローマ人への手紙8章28節)、主の栄光へと変えることがおできになる主に、手を上げて主をほめたたえ、手を上げて感謝をもって祈るなら、香り良き薫香として主の御前に立ち上がるのではないでしょうか。