だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。(ルカの福音書9章62節)
1.伝道者の書11章3節―6節
2.マタイの福音書6章24節―33節
3.ピリピ人への手紙3章1節―16節
4.ヘブル人への手紙11章8節―16節
今日の聖句の前に、自分からイエス様に「私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。」と言われた人に対して、イエス様は「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と、イエス様はこの世に定住する者ではなく、旅人、寄留者であることを言われたのではないでしょうか。イエス様から「わたしについて来なさい。」と、言われた方が「まず行って、父を葬ることを許してください。」と申し上げると、イエス様は「死人たちに彼らの中の死人たちをほうむらせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」と、「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」と申し上げた人に、「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」と仰せられたのでしたが、その意図とするところは、何よりも神の国とその義をまず第一にしてほしいという願いが込められているのではないでしょうか。伝道者の書11章3節は「雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままある。」と、神に心を向けるよりも、どうすることもできない事柄や過去の栄光(暖かい南風)、過去の苦難(冷たい北風)にとらわれてしまうことが信仰の歩みを妨げる要素の一つとして語られています。ペテロの手紙第一2章9節―11節「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招き入れてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」を心に据えて、古い自分はすでにこの世が贖われ、キリストともにすでに葬られていることを忘れずに、すべての人々に福音が届くように主の御名をもって祈るとともに、主が喜ばれるように、今、主から与えらている働きは、主に仕えることと認識して行おうではありませんか。