わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。(ヨハネの福音書10章27節)
1.マタイの福音書4章1節―11節
2.ヨハネの福音書10章1節―5節
3.ヨハネの手紙第一2章18節―29節
4.ヨハネの手紙第一4章1節―5節
「声」には、世全体を支配している悪魔(サタン)の声、すなわち世の声、人の声、神である主の声の三種類があることがわかります。悪魔はイエス様に詩篇91篇11節−12節を引用して「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」と言いましたが、イエス様は悪魔の誘いにのって「ではやってみましょうか」と言われたのではなく、「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」とみことばで対処されたのでした(マタイの福音書4章5節−7節) 。なぜなら、みことばであっても神からではなく悪魔から発信されたものであったからであるとともに聖霊に満たされていたからではないでしょうか。イエス様は「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」と、キリスト者は主の声なのか、サタンの声なのか、人の声なのかを聞き分けることができることを語っていますが、それはイエス様が「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。(ヨハネの福音書14章26節)」と仰せられたように御霊の働きによるのではないでしょうか。ペテロはイエス様について「あなたは生ける神の御子キリストです。」と告白したにもかかわらず、イエス様がエルサレムで殺されることと三日目によみがえることを打ち明けると「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」といさめたのでイエス様から「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と言われたように、まだ聖霊がくだっていなかったので、サタンに利用されてしまいましたし、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言っても三度イエス様を知らない、というような自分のごとばに責任をもてないような弱さを抱えていましたが、イエス様はペテロの信仰がなくならないように祈られたのでした。具体的にわからなくても「何か変」と違和感を覚えるようなときには、人に惑わされないように聖霊が働いておられるのではないでしょうか(ヨハネの手紙第一2章18節―27節)。そのようなとき、モーセが主に「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。(出エジプト記33章15節)」と申し上げたように、足を踏み出さずに主の時を待とうではありませんか。