人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。(ルカの福音書19章10節)

1.ルカの福音書527節―32
2.ルカの福音書151節―32
3.ヨハネの福音書107節―16

イエス様がザアカイに「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われると、ザアカイはイエス様が言われたように急いで降りて来て、大喜びでイエス様を迎えたのですが、それを見た人々は「あの方は罪人のところに行って客となられた。」とつぶやきましたが、「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と申し上げたザアカイに、イエス様は「きょう。救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」と仰せられたことから(ルカの福音書19章1節ー19節)、「失われた者」とは罪人を意味することであり、イエス様の使命は罪人を救うことであることがわかります。昨日、出かける時に母からいただいていたペンダントをしようと思ったのですが、置いたはずの所に見当たらなかったので、ペンダントなしで教会に出かけましたが、帰宅していから思い当たるさまざまな所をくまなく探している最中に、イエス様がたとえ話で迷った羊一匹の話を思い出し、イエス様も私のことを捜してくださったことを思いました。ふと、引き出しを取り出してみたら、引き出しの隅にあるのを見つけて喜ぶとともに「ああ、よかった。」と安堵しながら、今まであまり考えていませんでしたが、迷った羊一匹を喜んだように、主に喜ばれている存在であることを主がお教えくださったように思いました。キリスト者は主に捜し出された存在であり、喜ばれていることを思うとともに、キリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているこの世の神から人々が解放され、主の招きに応答できるようにとりなして祈ろうではありませんか。