造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべて裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明するのです。(ヘブル人への手紙4章13節)
1.詩篇139篇1節―16節
2.ヨハネの福音書1章40節―49節
3.ヨハネの福音書21章15節ー19節
4.ローマ人への手紙8章23節ー39節
サタンとも呼ばれる悪魔は自分が被造物であることを忘れ天から落とされたのですが、イザヤ書14章12節−14節は「あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』」と、天から落とされた理由を語っています。ダビデが「ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ。あなたはそれをことごとく知っておられます。(詩篇139篇4節)」と語っているように、主は声に出して言わなくても、何を考えているか、何を思っているのかすべてご存知だったからです。主は永遠から永遠の方であり、アブラハムに「あなたはこの事をよく知っていなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない国で寄留者となり、彼らは奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。しかし、彼らの仕えるその国民を、わたしがさばき、その後、彼らは多くの財産を持って、そこから出てくるようになる。(創世記15章13節―14節)」と、エジプトで子孫が苦しむことを、また「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あまたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。(創世記17章6節)」と、サムエルの息子たちがサムエルのようでなかったので長老たちが「どうか、今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」と迫り、王を欲しがり、神権政治から専制政治に移ることをも語られたのでした。イエス様を三度知らないと言い、自分の愛が神の愛(アガパオ)のようでないことを経験したペテロがイエス様に「主よ。あなたはいっさいのことをご存知です。」と告白したように、今日の聖句「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべて裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明するのです。」を心に据えて、すべてをご存知な主に心のうちを正直に申し上げるとともに、私たちの将来もご存知であるとともに私たちの弱さをもよくご存知とりなしていてくださる主をほめたたえて生活しようではありませんか。