神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3章11節)
1.伝道者の書3章1節―8節
2.ローマ人への手紙8章18節ー30節
3.ローマ人への手紙11章25節―36節
4.ヘブル人への手紙12章2節ー11節
イエス様は「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのをあなたがたは、聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いがうけられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟だけにあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。(マタイの福音書5章43節―48節)」と仰せになりました。イエス様は弟子たちに「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と、問題のない人生を約束されたのではなく、かえって苦悩する人生になることを話されました。ペテロの手紙第一5章10節は「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、完全な者となるためには苦しみを通される必要があること、「苦しみの後で」と、時があることを語っています。多くの苦悩を経験したパウロが「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケへの手紙 第一 5章16節―18節)」と勧めることができたのは、「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。(ローマ人への手紙11章33節)」と神の偉大さをご存知だったからではないでしょうか。今日の聖句「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」を心に据えて、「すべて」とありますから、苦悩する時も「どうして」と悩むよりも、十字架の死があったがゆえに復活があったことを思い起こし、主の時に主がすべてを美しくされる、すなわち、すべてのことに意味あることを、わからせてくださる時があることを感謝し、主の前に静まって、思い煩っていることや苦悩することを主に申し上げ、主の時があることを感謝し、この世が与えることのできない主の平安をいただこうではありませんか(ピリピ人への手紙4章6節ー7節)。