正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。(箴言12章28節)
1.イザヤ書30章15節―21節
2.ヨハネの福音書5章19節―24節
3.ヨハネの福音書11章25節―26節
4.コリンと人への手紙 第一 15章49節ー57節
イザヤ書30章18節に「主は正義の神」とあります。ですから、正義の神に似たものとして創造された人間には正義感なるものが備わっているのではないでしょうか。ですから、どんな物語も最後に正義が勝つように組み立てられているのではないでしょうか。正義には悪を滅ぼす力があることを思わされます。もし神の特質が正義だけでしたら、すべての人は有罪を言い渡され滅びる以外に正義の神である主は恵みとあわれみにも富んでおられる方なので、罪人をさばくためではなく、救うために御子イエス様をこの世にお遣わしになり、罪や死、神の怒りから救われる道を開かれたのでした。イエス様は「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。(ヨハネの福音書11章25節―26節)」と仰せられましたが、そのことをペテロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださった。(ペテロの手紙 第一1章3節)」と語っているように、神は、御子イエス様を死からよみがえることによって証明されたのでした。イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです(ヨハネの福音書5章24節)。」と言われました。ですから今日の聖句は「正義の道にはいのちがある。その道筋には死がない。」と語っているように、キリスト者にも死は訪れますが、その瞬間、目に見える体の中に内住していた目に見えない私たちは主のもとに引き上げられ、永遠の世界に移されるのです。永遠のいのちが与えられていることを、死に勝利された主がいつも導いてくださっていることを覚え、コロナを恐れるのではなく、永遠のいのちを与えてくださった主をほめたたえるとともに、恐れの中におられる人々に福音が届き、正義の道であるイエス様を信じることができるようにとりなして祈ろうではありませんか。