ほむべきかな神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。(詩篇72篇18節)

1.出エジプト記151節―19
2.申命記431節―39
3.詩篇1071節―9
4.ヘブル人への手紙12章2節―11節

ローマ人への手紙1章20節ー23節が「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅びべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」と語っているように、人はさまざまな像を造り、それらのものを神として拝んでいますが、その原因は、だれも神を見たことがないことにあるのではないでしょうか。ところで、ヨハネの福音書1章18節は「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのでした。」と、神は御子イエス様を人としてこの世にお遣わしになり、イエス様を見ることによって神の本質を、神の神性を見ることができるようにしてくださったのでした。イエス様は「もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、その上で憎んだのです。これは『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。」と弟子たちに話されました(ヨハネの福音書15章24節ー25節)。今日の聖句が「ほむべきかな神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行う。」と語っているように、この世を支配している悪魔や悪霊、人の力や知恵では決して解決できない罪の赦しと死に勝利するいのちを十字架と復活によって実現されたのでした。全知全能の神が、恵みとまことに満ちておられ信仰を完成させてくださるイエス様が聖霊なる神として私たちの心に内住しておられることを、主はどんな時にも、ともにおられ助け、とりなしていてくださることを感謝して生きようではありませんか。