いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。(使徒の働き20章32節)
1.ヨハネの福音書1章1節―17節
2.マタイの福音書11章28節―30節
3.使徒の働き14章1節―3節
4.使徒の働き20章22節―32節
悪霊につかれていたひとをいやされイエス様のことを群衆が「この人は、ダビデの子なのだろうか。」と言うと、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と言ったパリサイ人に「木がよければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。(マタイの福音書12章22節―24節及び33節―34節)」と、心とことばの関係にふれています。ルカの福音書4章22節に「みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。」とあります。イエス様は恵みとまことに満ちておられるからではないでしょうか。イエス様は、教会を迫害していたサウロとも呼ばれていたパウロに「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」と仰せられて、ご自身を現され、救いは行いによるものでなく、恵みによるものであり、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知る者とされたのでした。ソロモンは「人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。(伝道者の書7章21節)」と語っています。エレミヤ書17章9節が「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」と語っているように、人のことばは気分次第で変わってしまう弱さを抱えていることを留意し、人のことばで一喜一憂することなく、恵みを深く知ったパウロが今日の聖句で勧めているように、恵みとまことに満ちておられるイエス様ご自身に目を留めるとともに、恵みのみことばを心に据えて、良心のかしゃくを得るようなときも、人のことばで心が傷つくような時も「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル人への手紙4章16節)」と勧めているように十字架で全生涯の罪や咎(過失)は処理されている恵みを感謝し恵みから落ちることのないように(ヘブル人への手紙12章15節)しようではありませんか。