私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。(コリント人への手紙 第一 15章49節)
1.ヨハネの福音書3章1節ー7節
2.コリント人への手紙 第二 3章6節―18節
3.コリント人への手紙 第二5章1節―10節
4.コロサイ人への手紙2章20節―3章4節
パウロはキリストを信じる前は自分の罪過と罪との中に死んでいた者で、生まれながら神の御怒りを受けるべき者でしたが、あわれみ豊かな神はキリストを信じた者を「キリストとともに生かしてくださり、キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天のところにすわらせてくだった。」と、天に座する者とされていることを語っていますが、土から造られた体の中に生きている限り、実際はこの世遣わされた者という立場でこの世に生きているのですが、キリスト者は御霊なる主の働きによって主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられる人生が与えられているのです(コリント人への手紙 第二 3章18節)。オリンピックが来年に延期されたので、この一年多くの選手は栄光を求めて練習を重ねることになりますが、地上での栄光を得ることができるのは一握りの方々だけではないでしょうか。興味深いことに、コリント人への手紙 第一15章40節は「天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっています。」と語っています。この世で人がうらやむほどの栄光を手にしたとしても、死に対しては何の力も効果もありませんが、神は御子イエス様をこの世にお遣わしになり、キリストを信じる者を永遠の栄光の中に招き入れてくださったのでした。ノアの洪水の後、主は人のよわいは120年と仰せられました。ですから、永遠の栄光の中に生き続けるためには土で造られたからだから贖われる必要があります。今日の聖句は「私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。」と、朽ちてしまうような土からではないかたち、すなわちイエス様を信じることによって御霊によって新しく生まれかわることによってのみ得ることのできるからだについて語っています(ヨハネの福音書3章5節―7節、コリント人への手紙第一15章39節―48節)。キリスト者には神とともに永遠の御国で生き続けることができる天上のからだが与えられているのです。キリストにある救いは罪や死だけでなく、からだの完全な贖いももたらしてくださったのです(ローマ人への手紙23節―24節)。恵みによって救われ、朽ちることのないからだが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。