義を知る者、心にわたしの教えを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。(イザヤ書51章7節)
1.伝道者の書7章21節―22節
2.コリント人への手紙 第一3章18節−4章16節
3.エペソ人への手紙4章17節―24節
パウロはパリサイ人として生きていた時には聖霊を持たず、律法による自分の義に生き、キリスト者を迫害していましたが、キリスト者となったパウロは聖霊に満たされた者、キリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知る者となり、エペソの教会の聖徒たちに「そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぶるようになっています。しかし、あなたがたはキリストをそのようには学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。(エペソ人への手紙4章17節―21節)」と書くとともに、コリントの教会とアカヤ全土の聖徒たちに「ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。(コリント人への手紙 第二6章8節)」と、今日の聖句が「義を知る者、心にわたしの教えを持つ民よ。わたしに聞け。人のそしりを恐れるな。彼らのののしりにくじけるな。」と勧めているように生きられた秘訣を「私にとってはあなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。(コリント人への手紙 第一4章3節―5節)」というパウロのことばに見ることができるのではないでしょうか。この世に生きている限り多くの失敗をしたり、主が喜ばれないような肉の思いにかられてしまうことがありますが、イエス様が私たちの全生涯の罪を十字架で処理してくださっただけでなく、とりなしていてくださることを感謝し、「わたしに聞け」と仰せられていることを心に留めて、真理のみことばに生きるようにしようではありませんか。